「低座イス」の名の通り、29cmと低く広くつくられた座面は、あぐらをかいたり足を投げ出したり、思い思いの体勢で座ることができます。
座面の後部にはやや傾斜がついており、厚みのあるクッションが身体を受け止めるため、腰に負担をかけず座ることができます。
また、畳や絨毯が傷まないよう、脚部はソリのような形になっており、和室はもちろん、フローリングのお部屋でもお使いいただけます。
 
 

建築家・坂倉準三と低座イス

1940年~1960年代の日本は戦争を経て、復興から高度成長期にかけてめまぐるしく世の中が進歩する中、住宅が大量に建てられ、和室と洋室が一緒になった新しい生活様式に変わろうとしている時代でした。
そのような中、坂倉準三氏は独立前、フランスの世界的建築家ル・コルビュジエに師事し、同事務所で家具デザインを担当していたシャルロット・ペリアンとも親交が深かったそうです。そのことから、家具への関心が強まり、その後構えた事務所では、試作用の工房をつくり、のちの低座イスや小イスの原型となる家具を製作していました。

天童木工カタログ「tendo mokko collection 1971」より

 
低座イスは、1948年にデザインされた「竹籠座低座椅子」を原型としています。低座イス同様木板を切り抜いたソリ状の脚部を持つ椅子で、木枠に竹で編んだ四角いかご状の背もたれと座面が取り付けられています。
その後、現在のかたちへとつながる厚みのあるクッションが設けられ、1960年にミラノ・トリエンナーレに出展される際に、カンチレバーの脚部を持つ現在のデザインが完成しました。その後もディテールの処理や、材料に変更が加えられながら、現在も当社で製造を続けています。
 

1965年発刊 天童木工カタログより
 
坂倉氏が日本と西洋両方の生活様式を学び、そして体感し、これを落とし込んだことで低座イスは誕生したといえるかもしれません。まさにジャパニーズモダンを体現するデザインと言えるでしょう。低座イスの開発には坂倉準三建築研究所の所員であった長大作氏が大きく関わっています。長氏は主にインテリアを担当し、低座イスをはじめとする、多くの家具のデザインに携わりました。
 

デジタルではつくれない曲線美

独特な丸みが印象的な背と座は、成形合板により3次元的な形をしています。
単純に平面を曲げた形にはない、柔らかい曲面がつくられており、快適な座り心地をもたらします。
また、その有機的フォルムは、いくつもの曲線の組合せによって描かれています。この曲線は独特のもので、単純にデジタルで作成した曲線にはない柔らかな線で描かれています。楕円に近く、いくつものカーブ定規を組み合わせなければできずとても難しいものです。

 
 
中座イス
形は低座イスに似ていますが、脚は4本脚タイプになっています。低座イスに比べて座面の高さも高くなっていますが、通常のダイニングチェアと比べるとやや低めに設計されています。ご年配の方からは「立ち座りがとても楽だ」という感想をよくいただきます。小ぶりなデザインとその立ち座りの良さで、現在ではカフェやコワーキングスペースなどでも使われています。

 
小イス
坂倉氏が、親交のあったジャン・プルーヴェの「スタンダードチェア」に触発され、これの木質化を試みます。1947年頃に原型をデザイン。その後いくつかのリデザインを経て、1953年に現在の「小イス」につながるデザインは誕生しました。
低座イスと同様に、成形合板による背と座の曲線が身体にフィットします。板座タイプと張座タイプの2種類をラインナップしています。

 
 

関連商品

低座イス

S-5016NA-ST

中座イス

T-3206NA-ST

小イス(板座)

T-3221WB-NT

小イス(張座)

T-3222WB-NT
 
 
■坂倉準三
1929年単身でフランスに渡り、パリの専門学校で建築の基礎を学び、1931年から1936年まで、世界三大建築家の一人であるル・コルビュジエのもとで都市計画や住宅設計に携わる。1940年に坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)を設立。戦後は、神奈川県立近代美術館(現・鎌倉文華館)や、国立西洋美術館(前川國男、吉阪隆正との3名による共同設計)などの建築作品から、渋谷東急会館といったターミナルデパート、新宿駅西口広場といった都市計画など幅広い仕事を手掛ける。